2011年6月度「二火会」  2011/06/14(TUE) 18:0020:00

第5回 「それぞれの宮沢賢治」: 勝浦喜代志

    「石川・宮沢賢治を読む会の紹介」

         

 ずっと宮澤賢治の魅力に捉われているものの、現在、継続的にやっているのは「石川・宮澤賢治を読む会」に参加していることぐらいである。この集まりの紹介を中心に、「私と宮澤賢治」の今までとこれからについて少しお話をしたい。

 

1)序

 ①宮沢賢治との出会い

  水沢の小学校の低学年。童話集『注文の多い料理店』の作品群や「セロ弾きのゴーシュ」。

 ②私の花巻での子供時代

  *花巻小学校(4年~6年)、花巻中学校(1年)

  *小学校の恩師:A先生(4年)・・・黒板いっぱいに絵を描いてのお話

         B先生(5~6年)・・・イギリス海岸、豊沢川などへの小遠足

         どちらの先生も宮澤賢治を意識していたと思われる。

  *花巻小学校(旧花城小学校)=花巻城址(ススキ、桑の木&実(クワゴ)

  *「賢治祭」 1946年に草野心平が参加した記録があるから、

         この頃もあったと思われる。

   クラスの子が何人か参加していた。当時は賢治にそれほど関心がなかった。

  *花巻小・中の友人達。花巻中学校の同期会の卒業外会員にしてもらっている。

   花巻から盛岡一高に入学した友人たち:AT氏、TN氏、SM氏、RS女史、

   TF女史

 ③宮沢賢治文学への開眼のきっかけ

  *中学の学芸会(?文化祭)の「飢餓陣営(バナナン大将)」。

  *盛岡一高の3年の後期の国語の補習授業(遊座先生)で、啄木と並ぶ郷土の偉大

   な作家として認識。

 宮沢賢治作品を通しての望郷

  ルーツ的に岩手ではないので、親戚もいない。40歳ぐらいまでは岩手に行く機

   会は少なかった。

 ⑤応援歌としての宮沢賢治の詩作品

  浪人時代・大学時代、経済的に厳しい時期があった。バイト漬けの学生生活の中

     で力づけられた詩。

   *「生徒諸君に寄せる」

   *「告別」

   *「稲作挿話」

  小型ノートに愛誦詩を書きとめていたが、宮沢賢治の詩では上記の詩の他に、

    「雨ニモマケズ」・「永訣の朝」も記載(まだ持っている当時の

     ノートを紹介)。

 ⑥宮沢賢治と化学

   勝浦:中学、高校と化学部、大学・大学院では工学部で有機合成化学を専攻。

   宮沢賢治:1915(大正4年)盛岡高等農林学校農芸化学

        (肥料学・土壌学)入学

        1918(大正7年)3月~1920(大正9年) 研究生。

        1921(大正10)12月~1925(昭和元年)3月

          岩手県稗貫郡立稗貫農学校(後岩手県立花巻農学校)教諭。

          退職後亡くなる1933(昭和8)まで肥料設計や農業指導。

        1931(昭和6年) 東北砕石工場技師となり石灰肥料の宣伝販売

        を担当。

  ☆「化学本論」(片山正夫著、内田老鶴圃、1915年初版)の大きな影響

   *「科学者としての宮沢賢治」(斎藤文一著、平凡社新書、2010年)より

「当時は量子力学の黎明期にあたり、物質構造についての解明が始まっていた。「化学本論」はそのような量子力学革命直前の学問的雰囲気を、総合的に集大成した大著(全1008ページ、10編、 35章)であった。(略)単なる記事の羅列ではない。歴史的な現場に立ち会ったという確かな実感とともに、自分が経験した感動の経過を伝えたいという情熱がこめられているのだ。(略)また本 書には、「本書の方針は肉眼偵察法」「自由に仮設を採用」「要領の要領」などといった、魅力ある表現が多い。()このあたりを賢治はどのように読んだのであろうか。(略)「化学本論」は各論ではない。(略)賢治が、この「化学本論」から受けた影響ははかり知れない。彼の自然観が、あのように確固とした科学的・実証的な裏づけを得ることができたのは、第一に本書の力によるといえよう。」

 

  *富山大学の図書館で古びた「化学本論」を見つける。

      

   *「化学本論」は大学の理科系の学部レベルの「物理化学」の教科書である。内容的には、量子化学(量子力学)的内容を除けば、私が40数年前に学んだ教科書の内容とほとんど変わらない。賢治の作品によくでてくるコロイドに関する化学は、当時としては最新の化学であった。新しい物理化学の教科書では量子化学(量子力学)のウェイトが増し、コロイドに関するページ数は「化学本論」の5.9%からアトキンス「物理化学要綱」の1.4%にまで減っている。

  ☆作品中の化学用語(最近読んだ「春と修羅」第一集の部分だけから)他の科学用語(植物・鉱物・天文・気象など)に比べて、純粋な化学用語は多くはない。無機化学関係が多く有機化学や高分子化学系少ない。作品の中では、単なる知識としてではなく、実験科学(化学)的に色や性状をとらえたものが多いと思う。広義の化学として、鉱物(金属)や物理ないし物理化学関係を含めると、以下のようなものがある  は、広義の化学用語)。ひとつひとつ説明しないが、どのような使われ方をしているか、句として記載した。いくつかについては説明を加えた。)

   ・『屈折率』     「向ふの縮れた亜鉛の雲へ」

   ・『丘の眩惑』    「電しんばしらの影の藍靛(インディゴ)や」

   ・『カーバイト倉庫』 「これはカーバイト倉庫の軒」

   ・『コバルト山地』  「コバルト山地の氷霧のなかで」

   ・『恋と病熱』    「つめたい青銅(ブロンズ)の病室で」

   ・『春と修羅』    「くろぐろと光素(エーテル)を吸い」

   ・『陽ざしとかれくさ』「光パラフヰンの 蒼いもや」

   ・『風景』      「雲はたよりないカルボン酸

   ・『おきなぐさ』   「幾きれうかぶ光の雲」

   ・『真空溶媒』    「いまやそこらはalcohol瓶のなかのけしき」

              「ころころまるめられたパラフヰンの団子になって」

              「はやく王水をのませたらよかったでせう」

                金や白金も溶かす混酸。濃硝酸1+濃塩酸3。

              「雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる⇒炎色反応

              「そのなかには苦味丁畿(くみちんき)や硼酸や」

              「たしかに硫化水素ははいっているし/

               ほかに無水亜硫酸

              「しょうとつして渦になって硫黄華ができる」

              「草はみみな葉緑素を恢復し/

               葡萄糖を含む月光液は/・・・・・」

              「それでもどうせ質量不変の定律だから」

   ・『蠕虫舞手』    「水ゾル

   ・『小岩井農場』   「あいまいな思惟の蛍光

              「幹や芽のなかに燐光や樹液のながれ」

              「そらでやるBrownian movement

              「また鉄ゼルfluorescence

              「テレピン油の蒸気圧」

              「雲はけふも白金白金黒

              「亜鉛鍍金の雉子なのだ」

              「(空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンジ)

                がちぎれる)」

              「雨をおとす雲母摺りの雲の下」

              「こやし入れだのすか/堆肥ど過燐酸どすか」

              「過燐酸石灰のヅツク袋/水溶十九と書いてある/

               学校のは十五%だ」

              「燐酸のあき袋をあつめてくる」

              「青い炭素のけむりも立つ」

   ・『霧とマッチ』   「スヰヂツシ安全マッチ

   ・『青い槍の葉』     泥のコロイドその底に」

   ・『風景監察官』   「また多少プウルキインの現象にもよるようだが/

              も少しそらから橙黄線を送ってもらふやうにしたら」

              「むしろこんな黄水晶(シトリン)の夕方に」

   ・『東岩手火山』   「(月光は水銀 月光は水銀)」

              「その質は/蛋白石 glass-wool

                あるいは水酸化礬土の沈殿」」

              「さうでなければ高陵土(カオリンゲル)

              「天の海とオパールの雲」

              「濃い蔗糖溶液に」

   ・『アサニエロ』   「稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ」 ・・・ 

   ・『栗鼠と色鉛筆』  「日は白金をくすぼらし」

   ・『風林』      「柳沢の杉はコロイドよりもなつかしく」

   ・『青森挽歌』    「(八月の よるのしじまの 寒天凝膠

                (アガアゼル))」

              「真鍮の睡さうな脂肪酸にみち」

              「仮睡硅酸の雲のなかから」

              「亜硫酸笑気のにほい」

   ・『オホーツク挽歌』 「海面は朝の炭酸のためにすっかり銹びた」

              「緑青は水平線までうららかに延び」

   ・『樺太鉄道』    「van’Hoffの雲の白髪の崇高さ」

              「プリズムになって日光を反射し/

                草地に投げられたスペクトル

              「一きれはもう錬金の過程を了へ」

   ・『雲とはんのき』  「朧な秋の水ゾルと」

              「アマルガムにさへならなかったら」

   ・『風景とオルゴール』「クレオソートを塗ったばかりのらんかんや」

   ・『風の偏倚』    「クレオソートを塗ったばかりの電柱や」

              「いま硅酸の雲の大部が行き過ぎようとする

                ために」

              「まえにはよく硫黄のにほひがのぼったのだが/

              「いまはその小さな硫黄の粒も/

                 風や酸素に溶かされてしまった」

              「月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口

                からできてゐる」

   ・『第四梯形』    「七つ森の第四伯林青スロープは」 

                (伯林青=プルシアンブルー)

   ・『火薬と紙幣』   「米国風のブリキの缶で」

              「火薬も大きな紙幣もほしくない」

   ・『鎔岩流』     「空気の中の酸素炭酸瓦斯

                 これら清冽な試薬によって」

   ・『冬と銀河ステーション』「みんなは生ゴムの長靴をはき」

              「はんの木とまばゆい雲のアルコホル

              「紅玉トパースまたいろいろのスペクトルや」

 ⑦私の仕事(農薬研究)と宮澤賢治

  *社会人になって、定年退職までの約2/3ぐらいの期間、農薬の研究。

   同期のUくんには、会うたびに「農薬は悪だ」として、一時期よく非難された。

  *賢治の農薬を扱った作品:「植物医師」。主人公を反面教師とした。自分の仕事の中で、真の「植物医師」、「植物病院」を考えようとしたが・・・・。

   今年(2011年)初めに、NHK教育で放映された「こだわり人物伝宮澤賢治」で生命科学者の中村桂子氏が「植物医師」について、農業の本質・農民の強さを書いている(テキスト紹介のみ)。

 

2)石川・宮沢賢治を読む会の紹介

 「石川・宮沢賢治を読む会」は金沢で隔月で開催されており、現在、私はその会の案内人(進行役)を務めている。この会は、文庫版『宮沢賢治全集』(全10巻/ちくま文庫)を参加者で読み合うつどい。1997年3月23日に発足し、今年で15年目。最初、童話から入り、14年かかって童話を一通り終了し、昨年から詩を読んでいる。

 主催者の細川律子さんは、1946年一戸生まれ、盛岡二高、岩手大学学芸学部卒。埼玉・大阪で教員を務め、結婚して石川県に移り住み、金沢近郊のかほく市の自宅に「はまなす文庫」(同名のブログも開設中)を開き、また、図書館や学校で読み聞かせや朗読の活動をし、最近では全国的にも活動の場を広げている。岩手の方言やなまりを活かした、朗読に人気がある。「風と光の散歩道―宮沢賢治の植物を訪ねて―」・「宮沢賢治の国より」などの本も出している。 ご主人も岩手大学農学部獣医学科卒。

 会の進め方は、先ず「星めぐりの歌」 and/or 「精神歌」の斉唱。作品を誰かが読み(長編の場合は分割)、案内人の解説を参考に、みんなが感想・疑問・意見などを自由に話し合う。その後もう一度、ゆっくりと味わいながら次の人が読むという風に進む。童話で台詞のある場合は、登場者の台詞とナレーションをみんなで分担。

 参加者は、多い時は20人を超えることもあるが、平均して十数人。金沢近郊で家庭文庫などで子供への読み聞かせをやっている女性が多く、朗読(語り)の実力は結構レベルが高い。男性は少なく1/4程度。時々、西隣りの福井県からの参加者もある。主催者とのつながりで、他県で家庭文庫をやっている人なども、ときどき視察をかねて参加する。年に数度、専門の研究家を招待して勉強会も開催。数年に一度、「宮澤賢治ゆかりの地をめぐるツアー」を開催(1999年・2001年・2008年、他県からの参加者もあり)。

 発足当初、「宮澤賢治学会」の名簿から、隣の富山県に住んでいた私にも声がかかったのが、参加のきっかけである。数年後、転勤で富山を離れたので約10年のブランクがあったが、2009年4月に富山にもどって、再度参加している。ブランクの間も前述のツアーや勉強会には参加し、「賢治祭」参加を兼ねた岩手へのツアーではガイド役を務めている。

 

☆「石川・宮澤賢治を読む会」での案内人をすることになったきっかけ

 2009年まで、熱心な宮澤賢治研究家である金沢の大学のT先生(八戸出身、宮沢賢治と同じ土壌学や肥料学が専門)が案内役を務めていた。2009年11月から「春と修羅」を読み始めたが、その2回目の直前に、T先生が体調を崩されて、勝浦がピンチヒッターをやることになった。「真空溶媒」という作品を私が解説したところ、皆さんよく解かったとのことで、2010年の3月から案内役をおおせつかった。「真空溶媒」の不思議さは“雲の様子を空想しながらスケッチしたもの”だからと話をしたら、みんなが納得。賢治の作品は科学用語が多く、特に詩においてはなかなか理解できないというので、理科系の私が指名されたようである。

 

☆「石川・宮澤賢治を読む会」の内容紹介

 主催者のブログ「はまなす文庫」の記事をもとに、案内役を務めたここ数回の内容を簡単に紹介する。

 (例会の内容を示している部分を抜き書き)

宮沢賢治を読む会 ・ 5月例会

2010年5月24日(月)   あめ    15~26℃(フェーン)

  昨日は、「石川・宮沢賢治を読む会」 5月例会日。金沢勤労者プラザにて 今年度、初めての例会。14年目に入る。

 『宮沢賢治全集』(全10巻・ちくま文庫)の5巻目の童話から読みすすみ、2009年3月例会から、第1巻目の詩が、スタートしました。

 童話は、物語をそれなりにたのしみ、感想を話し合ってきましたが、詩はそうはいきません。

 大抵の人は、ちんぷんかんぷん!こりゃ~こまった!

 そこで、会員のなかでも、宮沢賢治に惚れ込み、長年読み続けているTさんと、Kさんに、道案内をお願いすることにしました。Tさんは、しばらくお休みされているので、今回の案内人は、Kさんこと、勝浦さん。

 勝浦さんは、岩手県水沢生まれ、花巻で育ち、学生時代は盛岡で過ごされ、高校は、なんと、賢治の後輩という間柄(!) 高校生の時、賢治に出会い、それ以来の隠れ研究者。

 化学関係の会社を退職され、のんびりされた様子をみてのお願いでした。

 今月、読んだのは「小岩井農場」という作品。 全編900行におよぶ長編詩。

 小岩井農場は、1891年(明治24)、岩手山麓に開けた北欧を思わせる近代的景観の農場。

 岩手山を愛し、農業技術に関心の深い賢治を魅了してやまなかった。

 作品は、パート1~9までの9章に分かれ、小岩井駅から農場に至る途中と、農場が描写されている。1922年(大正11)5月21日、賢治26歳。農学校の教師をしていたころ、農場へ向けて、ハイキングした日の心象スケッチです。

 詩は、音楽のようなリズムで進み、賢治に同行しているようにたのしい・・・・・といいたいのだが、読むごとに、科学用語につまづいて・・・???

 そこを、勝浦さんは、やさしくていねいに解説。まるで、勝浦さんは賢治のよう!

 それともうひとつ、うれしいことのおまけ。

 この会に初参加の盛岡出身のKさんが、方言の会話を上手に読んでくれましたよ!

 そんなこともあって、私たちは、ハイキングから落ちこぼれることなく、農場を歩き回ったのでした。

 そして、このハイキングは、「すべてさびしさと悲傷とを焚」きつつも、賢治にとって前進することへの不安と決意のハイキングであったこともわかったのでした。

<勝浦コメント> 多くの参加者が「宮澤賢治ゆかりの地をめぐるツアー」参加者だったので、その時のことを思い出しながら読んだ。自分の体験からどれだけイメージを脹らますことができるか!

「賢治のよう」は私に対して過分な評であるが、そうありたいと願っている。

 

宮沢賢治を読む会 ・ 7月例会

7月25日(日)    はれ   25~32℃

 きょうは、「石川・賢治を読む会」 7月例会日。 暑さの中、9人参加。

 今月、読んだ詩は「林と思想」「霧とマッチ」「芝生」「青い槍の葉」「報告」 「風景観察官」「岩手山」「高原」「印象」 の9編。

 まず、1編の詩を、誰かが読み、そのあと勝浦さんの解説とみんなの感じたこと。最後にもう一度、次の人がゆっくりと味わいながら読む~という風に進んでいく。

賢治の詩には、科学者としての賢治の専門用語が折りこまれているので、たいていは、ちんぷんかんぷん。

 それが、勝浦さんの解説で、するすると溶けていくから不思議!!

 今回も、スヰヂツシ安全マッチがスウェーデンのマッチであること、青い槍の葉というのは、稲のこと。

 黄水晶は、夕日の沈む直前にあらわれる色であること。プウルキインの現象とは、光の強さによって、色の見え方が違ってくる現象で、昼は緑ー黄が明るく見え、夕暮れや月夜は、青みがかったものがよく見える効果のこと。ラリックスは、落葉松のこと。・・・・などと、勝浦さんは解説されて、最後に「X型のかけがねのついた帯革」では奥さん(!)から借りてこられた「X型の帯革」を、見せてくださった。

 私がおもしろいと思ったのは、「風景観察官」ということば。もちろん、賢治のユーモアある造語。心象スケッチを綴るときの賢治自身の姿を風景観察官と表現しているのだ。

関心のある方は、どうぞ、『宮沢賢治全集 1』を、開いてみてくださいね。

 勝浦さんの解説に助けられて、今月もすこしだけ、賢治の詩の世界に近づけたひと時でした。

<勝浦コメント> 時々、家内の協力も得ている。

宮沢賢治を読む会 ・ 9月例会

2010年9月26日(日)   はれ      15~23℃

きょうは、「石川・宮沢賢治を読む会」の9月例会日。14:00~16:30   参加者 8名。

今年1月より、『宮沢賢治全集 1』(ちくま文庫)の詩を読んでいる。案内人は、勝浦さん。

きょうは、少し早足の案内人。ほか、7人はがんばってついていきました。

一つの詩を、誰かが読む⇒勝浦さんの解説⇒次の人がまた同じ詩を読む。

ちんぷんかんぷんの詩が、糸がほどけるようにわかった時のうれしさ。

きょう、読んだ詩。(P116~131):「高級の霧」「電車」「天然誘接」「原体剣舞連」「グランド電柱」「山巡査」「電線工夫」「たび人」「竹と楢」「銅線」「滝沢野」

 

 おお

 なんといふ立派な楢だ

 緑の勳爵士(ナイト)だ  

 雨にぬれてまっすぐに立つ緑の薫爵士(ナイト)だ

            (「山巡査」より)

農業もしているKさんが、山から持ってきたミズナラの緑のナイト。傍らには、落葉松の青い枝と、まつぼっくり。

賢治の詩には、自分の近くの自然を手繰りながら読むことができる楽しさがありますね。

宮沢賢治を読む会 ・ 11月例会

11月22日(月)     くもりのちあめ     10~18℃

 昨日は、「宮沢賢治を読む会」11月例会日。

例会は、隔月に行われるので、みんな、「ひさしぶり!!」の挨拶。

今月は、初めての方が3人。 12人の参加。

               *   *   *   *   *

 はじめに、今年8月15日に亡くなられた菅原千恵子さんの冥福を祈って、黙祷を捧げました。

菅原千恵子さんは、宮沢賢治の研究家であり、作家。

菅原さんは、20代の時、論文「『銀河鉄道の夜』新見」を「文学」(岩波書店)に発表。

その後も、研究を続け、評論「宮沢賢治の青春」(宝島社)、小説「満天の蒼い森」(角川書店)を出版。

 菅原さんは、この会が発足した1997年3月23日、上田哲先生の講演を聞きに来られ、11月には、

学習会の講演をお願した。その後、1999年9月に埼玉県小鹿野町を訪ねる旅に同行してもらう等、2000年1月から、4年間、学習会講師もして頂いたが、2005年から体調を崩され、療養先の伊丹市で亡くなられた。菅原さんは、児童文学にも造詣が深く、自宅に文庫を開かれて活動したり、大学の講師も勤められた。私は、菅原さんが宮城県の出身であることから、同じ東北人として親交を持ち、「宮沢賢治を読む会」を立ち上げたとき、とても喜んで応援してくださった。

 いつも、「賢治本人に聞いてみたいことがたくさんあるの」と笑っていた菅原さん。

 きっと、賢治に会えていることでしょう。  合掌

                *   *   *   *   * 

今回も、案内人は、いつものように、宮沢賢治の後輩でもある水沢出身の勝浦さん。

今月の詩は、「東岩手火山」 「犬」 「マサニエロ」 の3編。

 「東岩手火山」は、1922.9.17~18に、生徒5、6人と岩手山登山をした時のこと。

   月は水銀 後夜の喪主

   火山礫は 夜の沈殿

   たれもみんな愕くはずだ (風としづけさ)

   いま漂着する薬師外輪山

う~ん!岩手山の東はどっちだ!何時頃のこと?」みんな、はじめから頭を抱える

さもあらんと、勝浦さんは、地図を用意してこられた。↑

後夜(ごや)とは、午前2~6のことなそうだ。

この時間から、賢治は生徒たちと、外輪山のお鉢まわりをして、日の出を見ようとしているようだ。

    縦に三つならんだ星が見えませう

    下には斜めに房が下つたやうになり

    右と左とには

    赤と青と大きな星がありませう

    あれはオリオンです オライオンです

賢治は、生徒に星の解説をしている。

勝浦さんは、私達のために星の写真も用意されて、まるで、賢治先生!のように解説してくださった。

<勝浦コメント> 賢治の詩を読み、地図を見ながら、イメージでの岩手山の登山。楽しかった。岩手山や早池峰さんに登ってみたいという声も。

  

「マサニエロ」という詩。

 一揆の首領になったが暗殺されたイタリアの漁夫がマサニエロ。オペラになっているのを、賢治はレコードで聴いたらしい。花巻を、イタリアに見立てつくったそうだ。

    城のすすきの波の上には

    伊太利亜製の空間がある 

    そこで烏の群が踊る 

   <その花巻の城跡と花巻農学校、実習地などの地図>

 

そのはず、勝浦さんの家は、このあたりで、通学路だったそうな。賢治の歩いた道を勝浦さんも!!

勝浦さんに案内してもらう賢治の詩の時間。

今回も、チンプンカンプンの詩が、するする解けていく不思議さを味わいました。

<勝浦コメント> 「マサニエロ」の舞台:花巻城址。澤口たまみ著「宮沢賢治愛のうた」では、賢治が呼んでいるのは恋人大畠ヤス子。私は子供だったので、同じ舞台で、ススキの原をこいで行ったり、草を結んでトラップを仕掛けたり、桑の実(クワゴ)を食べて口の中を紫にしていた。

 

宮沢賢治を読む会 ・ 1月例会

2011年1月23日(日)    ゆきのちくもり     1~4℃

 毎年、1月は学習会。講師は、会員仲間の石丸さん。

 いつも、独自の視点でとらえた賢治を披露してくださるので、楽しみにしている。
 石丸さんは、調べるものを探す時は、散歩のように作品を読み、浮かんでくるのを待つのだそうだ。メモにとり、違和感がなければ考えを進めていく。そうすると賢治さんが自分をわかってくれたと思う瞬間があり感動して、テーマが決まるのだという。

 その感動の賜物を、今回(6回目)も話してくださった。

    <これまでの石丸さんのテーマ>

  ・ジョバンニの切符~「銀河鉄道の夜」 (2006年)

  ・賢治の見た兵隊~「北守将軍と三人兄弟の医者」 (2007年)

  ・不器用の幸福~「セロ弾きのゴーシュ」 (2008年)

  ・月の船に出会う日~「二十六夜」 (2009年)

  ・「わからない」ということ~「学者アラムハラドの見た着物」(2010年)

  ・イーハトーヴの蛙~「カイロ団長」「蛙のゴム靴」「手紙」 (2011年)

 賢治の作品には、蛙が登場するものがいくつかある。

どれもユーモラスでしゃれていて、愉快。
 今回は、それらの作品を紹介しながら、賢治を世に送り出した蛙の詩人こと、草野心平と賢治のつながり。

アマガエルとトノサマガエルの大きさの違いの写真。蛙が雲見をしたペネタ形の雲とは?

ゴム靴が、1909年神戸で作られて全国に、だるま靴として広まつたこと。私もそのゴム靴をはいた年代。

 「カイロ団長」「蛙のゴム靴」の、結末の唐突さは、気になるところだが、石丸さんは、その不自然さに意味があると石丸説を話された。

賢治はばらばらにせず、作品を丸ごと楽しみたいとも。

 もう一度、しっかり、読み直してみたいと、みんなの感想。          参加者  18人

<勝浦コメント> 石丸さんの

テーマを絞った深い読みに感心。朗読も素朴で訥々とした中に味がある。

 

宮沢賢治を読む会 ・ 3月例会

2010年3月27日(日)   はれ   1~8℃

 今年度、最後のつどい。14人参加。

 最初に、東北関東大震災で亡くなられた方へ、黙祷を捧げてからスタートしました。

被災地出身者も、何人かいて、安否を確かめあいました。

作品に入る前に、案内人の勝浦さんから、賢治が生まれた年も、亡くなった年も地震と津波があったと、聞いて、みんな驚く。それは、1896(明治29)6月15日 三陸大津波(県内死者・行方不明者2万2千人)、続いて、8月31日 陸奥大地震(秋田・岩手県境)。賢治は、8月27日に生まれている。

 そして、1933(昭和8)3月3日 三陸一帯大地震大津波。賢治は9月21日に亡くなった。

今年は、生誕115年。天災は、繰り返されることを知る。

きょう、みんなで読んだ作品は、「栗鼠と色鉛筆」「無声慟哭」

 「無声慟哭」について、勝浦さんのていねいな解説。賢治のトシを失った哀しみが伝わってくる。

トシの繰り返される方言のことば、「あめゆじゆとてちてけんじや」。

この意味を、「あめゆき とってきてください、けんじさん」と、思っている人が多いそうな。

この日参加した人の中にも。なるほど、「…けんじや」=「…けんじさん」と思っても不思議ではない。

 でも、賢治は、生前出版した『春と修羅』のなかで、自ら注釈を付けて、

 「※あめゆき とってきてください」と、説明している。

 最後に盛岡出身のKさんが、方言をいれて、リズムよく読んでくれました。

みなさん、それぞれの感想は、次回までの宿題。

<勝浦コメント>

☆「栗鼠と色鉛筆」の三角山とはどこか?一部で言われている花巻小学校校庭の四角山=三角山は納得で

 きない。小学校の思い出をもとに、花巻小学校校門近くの別の小山と考え、花巻の友人達の力を借りて

 調査している。宮沢賢治記念館の学芸員とも話をして、結論を出したい。

☆「無声慟哭」

  「永訣の朝」での方言「あめゆきとてちてけんじゃ」の意味。盛岡出身の方も誤解していた。

      宮沢賢治を読む会 ・ 5月例会

5月22日(日)     あめのちくもり     13~17℃

 今年度、初めての例会。15年目に入りました。

 案内人は、会員の勝浦さん。高校では賢治の後輩にあたるひと。

 今回は、3月に読んだ「無声慟哭」の感想と、「風林」「白い鳥」まで。

「無声慟哭」は、賢治が妹トシの死を悼んで作った詩。挽歌である。

その感想を述べるのは、難しいことだが、それぞれの人が、それぞれのことばで想いを語りました。

 ・純粋な気持ち ・しずくが滴るよう ・音楽のよう ・雪国という風土 ・ふたつのこころの修羅

 ・衝撃的・悲しみから解き放たれるための作業・別れを惜しむ人がいる羨ましさ 

 ・悲しみの記憶 ・優れたレクイエム ・・・・・ことばを拾うと、こんな風。

 勝浦さんの解説によって、深く味わえたことに感謝!

 その後、賢治の詩作は、6ヶ月のブランク。

「風林」「白い鳥」は、農学校の生徒を連れて、岩手山に登った6月に生まれた。

 野原へ来れば、風の中にたてば、きっとおまえをおもいだす・・・と、トシをさがし、しめった朝の日光を飛んでいる鳥、それはわたしのいもうとだ・・・・と詩っている。賢治のトシをさがす旅は、まだ続く。勝浦さんの解説にうなづいているうちに、あっという間の2時間。つづきは、9月のおたのしみ!

 参加者 16人

                  *   *   *   *   *

 次回は、7月24日(日) 14:00~16:00

 「菅原千恵子さんを偲ぶつどい」金沢勤労者プラザにて 会費 600円

 菅原さんは、宮沢賢治研究家。1997年度~2003年度までの6年間、講師としてお迎えし、賢治のことを話していただきました。菅原さんの思い出を語り合いたいと思っています。 都合のつく方はご参加ください。

<勝浦コメント> 「無声慟哭」の詩群は賢治にとってのカタルシス=浄化。読者はこの詩に自分を重ね合わせて浄化され、活力を得られるのだろう。よく言われるモーツアルトの「レクイエム」の音楽と同じ。

 

☆宮沢賢治を介していろいろな人との出会いや再会

 この会及び宮澤賢治を通じて、いろいろな人との知遇を得た。

例えば、

*細川律子さん(朗読家、岩手出身)と「石川・宮沢賢治を読む会」の仲間 ・・・ 前述。

*菅原千恵子さん(2010没、宮沢賢治研究者) ・・・ 前述。

*畑山 博さん(2001年没、詩人、賢治研究家、芥川賞作家)

    賢治祭で偶然お話し、その後も数回声をかけてくれた。

*中村伸一郎先生(2009没、岩手県の音楽指導者)

 勝浦の花巻中学校時代の恩師、歌唱部=合唱部で指導を受ける。盛岡に転校後も、社会人になってからも時々連絡をとっていたが、私は近年まで賢治の音楽についてはあまり興味がなかった。

 「永年にわたり、宮沢賢治詩の作曲、編曲、演奏のほか、合唱団育成指導等、音楽教育を通して賢治作品を普及した」として9(1999)のイーハトーブ賞を受ける。作品集に「宮沢賢治の詩による合唱小品集」「中村伸一郎作品集」、随筆集に「音楽つれづれ」など2008年秋に久しぶりに手紙をいただいたり電話でお話しして、これから賢治の音楽について教えてもらおうと思っていたのに、2009年に亡くなり残念である。

*OK氏(映画監督) ・・・ 友達の友達という関係。宮澤賢治生誕100年頃に友達夫妻が資金を出して宮澤賢治の映画を作る話が出て、資料としてダンボール2箱ぐらいの本や資料を提供する。たぶん資金の工面ができなかったためと思うが、実現せず。

*MTさん(静岡県島田市在住、岩手出身、朗読家)

 巻紙に朗読する文章を自分でしたため、和服姿で机上に巻紙を広げ講談よろしく語る。時に小道具も使う。作品によってはおどろおどろしい感じ。全国的にも活動。

*NTさん(俳優・朗読家) ・・・ 花巻の友人が経営するプチホテルで、2007年、2008年と公演中のNTさんと同宿。人にたのまれて朗読会のお願いをする。宮澤賢治作品の朗読を奨めたが、まだ実現していない模様。

*OHさん(元看護師、子ども虐待防止を訴えるNPO法人運営委員)

山谷のホスピスに取材した本の中で紹介されている看護師のお母さん。この母にしてこの子ありということを実感させてくれた。医療や看護のことをたくさん教えてもらっている。

*上越教育大学の学生や先生:喫茶店で知り合い語り合った。

*盛岡一高同期のIMくん(天文部) ・・・ 賢治が好きということで、2010年夏に卒業以来の再会。「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)の星のパートを著述。宮澤賢治の星に関する知識の出典となる本を教えてもらったり、出たばかりの澤口たまみ著「宮沢賢治愛のうた」を紹介してもらう。

  それ以来、夜のウォーキングの途中、家内と星をよく見るようになった。

 

3)宮沢賢治とのこれから

 来年あたり完全リタイアしたら、特別な努力なしにやれそうなのが、賢治作品の勉強。

*「石川・宮沢賢治を読む会」の手伝い。

*金沢や富山(高岡)で朗読会・読み聞かせの会に参加。朗読の勉強。

 話のリズム・テンポに関心あり。「風野又三郎」のサイクルホールの表現などは素晴らしい。

*文語詩

 賢治が晩年力を入れていたのが文語詩。いままであまり読んでいないが、

澤口たまみ著「宮沢賢治 愛のうた」は賢治の文語詩からスタート。童話よりも、文語詩もふくめ詩を中心に読み深めたい。

*宮沢賢治と美術や音楽

①賢治作品の絵本 ・・・ 童話は絵本で読み返す(図書館や仲間から借りて)。

②宮澤賢治とシュールレアリズム ・・・ 賢治自身が描いた絵にもシュールなものがある。

 特に詩の中には読んだだけでシュールなイメージをもたされるものも多い。

 自分で絵にできるといいのだが、絵を描き賢治に興味を持っている友人をそそのかしている。

③宮沢賢治作品の音楽 ・・・ 音楽は好きだが、賢治研究の中ではあまり強くない分野。詳しい人に教えていただきながら、少しずつ。

*「化学本論」と宮澤賢治の自然観

 賢治は内容のみならず著者のいぶきを感じて作品に反映したというが、少し読んだだけでは、勝浦にはまだそのいぶきが伝わってこない。この本について表現も含めもう少し勉強してみたい。

*作品中のものを中心に植物、その他をもっと知ること。

 賢治作品をもっと深く味わうために、知識でなく実物で知りたい。

 

 宮沢賢治について、その甘さ・弱さ・あやうさを指摘し、「賢治は人生としては敗者」という人もいるが、私はそうした人間っぽい宮澤賢治が好きである。「雨ニモマケズ」の「サウイフモノニワタシハナリタイ」というところからの出発である。

 

                                            以上